「日本企業の勝算」を読みました

デービッド・アトキンソンさんの「日本企業の勝算 人材確保×生産性×企業成長」という本を読みました.著者のことは以前から東洋経済のオンライン記事で見かけたことがあり,説得力のある言説をされていて興味があったので,最近の著書で目を引くこの本を読んでみました.
(本記事で登場するページ番号はKindle版のページです.)

全体の論調としては,日本企業の労働生産性が他国に比べて低いことが課題であり,その要因が小規模事業者が多いという産業構造にあること,これを解消するにはどのようにしたらいいか,ということについて述べられています.

タイトルは「日本企業の」勝算,というものですが,どちらかというと日本国の産業政策について語られており,その結果として規模を大きくし生産性を向上することが,日本企業の勝算である,ということのようです.

大企業のほうが規模の経済が働いて労働生産性が高くなり,中小企業の多い日本は全体として労働生産性が低くなってしまっている,という一見するとシンプルな議論について,様々な角度からデータ・論文を参照しつつ説明するとともに,反論としてよく挙げられる言説が正しくないことを丁寧に説明しています.本書は仮説ごとにそれを補強するデータをふんだんに活用しつつ議論が進んでいくので納得しながらどんどん読み進められる良書でした.

個人的には著者の主張はとても正しいと思えましたし同意できます.それは,主に以下の観点からです.
  • 著者は,書籍の中で,十分なデータ・論拠となる文献を参照しながら議論を進めています.実際,データを見る限り著者の主張が正しいと考えられます.そもそも,日本では,経済的な政策やその批判などがなされるときに,データをもとに語られることが少ない気がします.私が理系だからそう思うのかもしれませんが,新たな主張をするときは統計的に十分有効なデータを分析して仮説の真偽や効果などを明らかにすることが常です.理系の学問分野だとデータは実験で得られますが,経済・社会の分野ではそれが政府統計などになるだけかと思います.ところが,実際そのようなデータの細かな分析などされている場面を見かけることは少なく,エピソードのみ,最悪の場合感情論で語られることが少なくない印象です.もちろん感情を尊重することも大事ですが,政策や経営判断をするにあたっては感情は抜きにしないと予測を見誤ることになり,その結果が多大な影響を及ぼしかねないことに注意しなければならないと思います.

  • 日本では,"小金持ち"が多く,そのために十分な資産を持てていない人が多いのではないか,と常々思っていました.これは,法人の税金対策として家を社宅扱いしたり,自家用車を社用車としたり,できる限り経費で落とすなど,バッドノウハウと呼べるような手法が蔓延っていることから,小規模でそのような節税を必要とする法人が多く存在しその社長は小金持ちになっているものの,付随する従業員は安く買いたたかれている,といった状況があるのではないか,と思ったからです.また,その結果として,以前もツイートしましたが,高齢者の資産は2000万円以上も300万以下もそれぞれ30%超いるといういびつな分布となっており,お金が小金持ちの人たちに集中する一方で十分貯蓄できない人が発生しているんではないかと,思っています.
    後者はわかりませんが,少なくとも前者については,ライフスタイル企業が中小企業・新規起業した企業に多く含まれる,という本書の記述に合致しており,考えが正しかったのではないか,と思える点でした.このような企業はもちろんあってはいけない,というわけではありませんが,自分のライフスタイルを貫くなら他の企業と同様の負担を負うのと同時に,市場経済の中で生き残れる経営力を持って然るべきで,それを回避させるような無駄な優遇策や法の抜け穴のようなものがある現状は是正せねばならないと思います.また,本書p275に記述されている通り,経営能力の低い人が経営者になろうとして結果小金持ちが増えるよりも,経営能力の高い経営者に資本と従業員を集約して国民全体として小金持ちに近い資産が築ける状況になるほうが望ましいかと思います.

  • 本書のp261でも指摘されていますが,日本ではICT・先端技術の活用がなかなか進まない,ということがよく言われます.最近建設業の状況をよく見聞きするのですが,正直なところこれは深刻だと思っています.現場で働く人が小規模事業者や一人親方で,日々の仕事で精いっぱいだしITに関する知識も導入するという発想もないので生産性向上もされません.工事を発注したり現場管理する側は,彼らが格安で請けてくれれば生産性が低かろうが問題にならないので彼らの生産性向上をする必要もありません."It's not my business."というやつです.この状況だと需要が発生しないのでたとえ画期的な技術を開発しても売り先がなく,開発が途絶え,他国に二周三周の遅れをとることになります.発注者や元請が全体を見て工事の生産性を高める方向にかじ取りしてくれればいいのですが,そのインセンティブがあるわけではありませんから,下請けの企業規模を大きくして価格交渉力を増やすなり,最賃を引き上げて生産性を高める方向にもっていく必要があると思います.


一方で,全体としてとても納得できる本であるがために,一部著者の記述が引っ掛かりスムーズに読み進められない箇所が気になってしまいました.いくつか気になった点を挙げます.
p226 しかし、弾力性が低いと、人を集めるためにはどんどん賃金を上げないといけないので、 その国の経済で中堅企業と大企業の占める比率が低下し、産業構造が歪んでしまい、規模の経済が働かなくなります。
ここを読んでいて,「人を集めるためには賃上げが必要」というのと「中堅~大企業の占める比率が低下する」がちょっとつながりませんでした.「人を集めるためには賃上げが必要」というのは弾力性問わず同じだと思います.しかし,弾力性が低いと労働者が簡単に勤務先を変えないから賃上げしないで済みますし,人を集めるための賃上げのハードルはより高くなります.そのため,わざわざ人を集められるほどの賃上げができるまで生産性を高める=企業規模を大きくするインセンティブが働かないので,小規模企業の占める割合が高まる,ということなのかなと思います.本文の記述だと少しロジックに飛躍があったなと思いました.

p235 日本は労働市場流動性が低いとよく言われますが、それを明確に示すデータは見つかっていません。
流動性が低いのははっきりわかっているわけでもないのに,その後の図表5-12では流動性が低い,という箇所に〇がついているので,それはどうなの?,と思ってしまいました.まあ明確に示すデータを(著者が)見つけられていないだけで,実際そうなのかなとも思います.


p265 京都府の大企業は生産性が非常に高く、京都府全体の企業の支払い能力を押し上げています。しかし、最低賃金引き上げの影響を最も受けやすい小規模事業者の生産性は、滋賀県より低いのです。
この前段で,最低賃金が低いと本来淘汰されるはずの企業が生き残ってしまうが,最低賃金を上げることで生産性の向上か淘汰を促すことができる,という話をしていました.このロジックなら,滋賀県より京都府のほうが最低賃金が高いので,小規模事業者も生産性が向上されていてもおかしくないと思うのですが,実際には京都府の小規模事業者の生産性が滋賀県より低いのはどういうことか,と思いました.まあ,こんな近隣で最低賃金を変えることに意味はなく最低賃金の決定に根拠がない,ということを言うための話なので,前段のロジックとは別なのだと思いますが.


細かいところはあるものの,全体としてとても同意できる本でした.ぜひ日本の政策決定にもこのような分析を参考にしてもらいたいと思いますが,それには長い時間がかかりそうだな,という気もします.